「完璧な詐欺師など存在しない。
完璧な法律など存在しないようにね。」
セミの声にかき消されそうな小さな声で、
男はつぶやいた。
2016年8月某日、
新宿区信濃町で司法書士事務所を経営する男の携帯が、
お昼どきの中華料理店に鳴り響いた。
ピロリロ~ピロリロ~♪
頬張っていた天津飯を急いで飲み込み、
男は携帯電話を手に取る。
「はい、もしもし。」
「ああ先生、お世話になってます。
本当に突然で申し訳ないんだけど、
明日不動産売買の契約・決済を同時で行う予定になりそうです。
予定は空いていますか?」
いかにも大衆食堂という感じの狭い中華料理店の店主は、
男の目が一瞬にして鋭くなったのを見逃さなかった。
「明日…ですか?
契約と決済を同時に?」
男は何かをひどく警戒しているようだ。
「ええ、そのとおりです。
急きょ購入できそうな物件の情報があってね。
それで、予定はどうですか?」
男は明日が水曜で、他に取引の予定がないことを
わかっている。
「ちょうど予定は空いています。
時間は何時でも対応可能ですよ。」
「そうですか。では資料一式を
メールしますので、確認をお願いします。
取引の時間と場所は、追って連絡します。」
残った天津飯を一気にたいらげ、男は事務所へ急いだ。
「悪い予感というものは、
良い予感よりずっと高い確率で的中する。」
誰かの小説で読んだような
そんな言葉が男の脳裏に浮かんでいた…。
つづく
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