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裏切りの使用貸借契約

開け放した窓から爽やかな初夏の風が流れ込み、

からかうように机の上の書類をふわりと持ち上げてみせた。

私は立ち上がって窓を閉めてから、そっと依頼人を振り返った。

窓を閉めた途端、

風が通らなくなった応接室には依頼人の不安や焦りが漂い、

一気に空気が重くなったような気がする。

「ねえ先生、自分が持っている土地に

家を建てて住んでいる人を追い出すことは当然にできるんでしょうか?」

「おや、追い出したい、とはまた何か事情がありそうですね。

詳しくお伺いしても?」


「もちろんです。お話しします。」 そう言って話し始めたのは、

ロンリネス夫人という70代後半くらいの女性だ。


聞けば、自分が所有している土地を息子に無償で貸していて、

息子夫婦がそこに家を建てて住んでいるのだが、

昨年息子の病気が発覚し余命宣告を受けてしまったのだそうだ。

「今からこんなことを考えたくもないのだけど、

もし息子が亡くなってしまったら、

貸している土地は売却したいと考えています。

私ももう歳をとりましたから、

この土地を売って今後の資金に充てたいと思っているんです。 …でも1つ問題があって。」


夫人は顔を曇らせた。


「お恥ずかしい話、

私と息子の嫁は最近はそこまで仲が良くないんです。 でも、息子から聞いたのだけど、

嫁は息子が亡くなった後も

そこに住み続けるつもりだと言っているそうなの。」

図々しい嫁でしょう?と憤慨した様子で同意を求められた私は、

同意してみせるべきか悩んだ結果、苦笑いを浮かべた。


「たしかに建物は息子名義になっているから、

息子が亡くなったら嫁が建物を相続して住みたいのはわかるわ。

でも私が土地を貸して、

家を建てて住むことを許したのは息子に対してであって、

お嫁さんに貸しているわけじゃないのよ。

だったら、息子が亡くなったなら

土地を返してもらいたいと思うのは当たり前でしょう?」

「なるほど、お気持ちは大変よくわかりますよ。」

だんだんと語調が荒くなってきた夫人に、私は大きく頷いてみせた。

「土地を無償で貸しているというのは『使用貸借』にあたりますね。 使用貸借というのは貸主と借主の信頼関係に

基づいて成立するものですから、

原則借主が死亡すれば使用貸借は終了します。(民法第599条)

民法第599条の原則に基づけば、

借主である息子さんの死亡により使用貸借が終了しますから、

その配偶者には土地の使用権限はありません。

なので、建物から退去して土地を明け渡す義務がある、

ということになります。 夫人の仰ることはとてもよくわかりますよ。」


「そんな法律がちゃんとあるのね。詳しいことは知らなかったけど、

法律でそう決まっているならやっぱり私の意見の方が正しいんだわ。

じゃあ、その法律を根拠にして主張すれば出て行ってもらえるのかしら?

嬉しそうに手を叩いた夫人を見て、

私は結論から言わなかったことを後悔した。

これからこの笑顔を曇らせることを言わねばならないと思うと、

心苦しさが胃からせり上がってくるような感覚を覚え、

私はそれを無理矢理押し戻すように唾を飲み込んだ。 ・・・しかし、大変申し上げにくいのですが、

そう一概には言えないのです。


途端に夫人の表情が曇り、応接室には再び重い空気が蔓延する。


「使用貸借を認めた際に、

借主である子の配偶者が同席していたという経緯や、

生前の親密な親子関係などを考慮して、 借主である子の配偶者に対しても使用貸借を

黙示に承諾したと判断された判例があります。

つまり、その場合は土地明け渡し請求は認められないのです。

(東京高判平成12年7月19日)」


「それって、私の場合にも当てはまるんですか?

私にそのつもりがなくても、息子だけじゃなくて、

お嫁さんにもその…使用貸借を認めたことになってしまうの? お嫁さんが自主的に出ていかない限り、

あの土地はどうにも処分できないってこと?」


納得がいかない様子の夫人が、声を荒らげて私を睨みつけた。


「もちろん、ケースバイケースですので、

必ず今回もそうなると決まっているわけではありませんが、

同じような状況で明け渡し請求が認められなかった

判例があるというのも事実です。」


「今から何かできることはあるの?」


夫人は私の言葉を遮るように言う。

大逆転の解決策を期待する目を、私はしっかりと見つめた。

「息子さんがご存命のうちに使用貸借契約書を残しておくべきです。

契約書に『本契約は借主の死亡によりその効力を失う』と定めておけば、

息子さんがお亡くなりになった時に当然に使用貸借を終了させて、

建物の明け渡し請求ができます。


また、可能であれば、

貴女とお嫁さんとの間には使用貸借契約が存在しない、

という確認書をお嫁さんとの間で取り交わしておくことも有効です。 ただ、そちらは実現が難しいでしょうが…。」


夫人はほっとした様子で息をついた。 空気が和らいだのを感じて私もそっと息を吐く。

「今のうちに相談に来てよかったわ。

まだできることがあるのね。今日帰って息子と話してみます。

嫁との確認書は、話がまとまるかわからないけれど…。」


「もしよろしければ、使用貸借契約書等の作成も

お手伝いさせていただきますよ。 お気軽にご連絡ください。」

「ありがとうございます、キャプテン先生。

またご連絡させていただきますね。」

落ち着きを取り戻した夫人は微笑んで立ち上がり、事務所を後にした。


【ポイント整理】

・親族間で使用貸借の成否が問題となる事例は多い

・民法の原則では、借主の死亡により使用貸借は終了する。

・しかし、建物の利用を目的とした土地の使用貸借において裁判所は、

 借主の配偶者等を使用貸借の終了から救済する傾向にある。 「借主の死亡により終了する」旨を

定めた使用貸借契約書を作成しておくことが有効な対策である。

※なお、本記事の掲載情報において、可能な限り正確な情報を掲載するよう努めていますが、情報が古くなったりすることもあり、必ずしも正確性を保証するものではありません。 掲載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますので、ご了承ください。 ※本内容はいかなる案件について妥当するものではありません。実務上は個別具体的に検討する必要があり、結論が異なる場合がございます。

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